2020年01月03日

アンパンマンと御真言

みなさん、おはようございます。
昨日、最明寺滝を散歩中
「ブログの記事に、スマートアンパンマンキッチンの事を書いたらアクセス数が異常に増えたのは
何故だろう?」
と考えていたら、自分の娘も幼少時代アンパンマンを見せると夢中になっていたことを思い出しました。
そんな風に長年にわたり子供達を喜ばせるアンパンマンと言う文字には
御真言のような効果があるのではないかと思い
アンパンマンの事を調べていると下記の記事が見つかりました。
(宗教っぽい内容になりますので、二日酔いの方、興味のない方はスルーしてください)

◆お釈迦さまのお言葉の中には
「人は生まれによって尊いのではない。行いによって尊くもなり卑しくもなるのである。」とあります。
せっかく生まれた人間として、どのような道を歩いていくのか。それが大事なことであると。

アンパンマンの作者である、やなせたかしさんの作詞された
アンパンマンのマーチには

「そうだ うれしいんだ  生きるよろこび  たとえ 胸の傷がいたんでも
何のために生まれて 何をして生きるのか  答えられないなんて そんなのはいやだ!
今を生きることで 熱いこころ燃える  だから君はいくんだ ほほえんで」

とあります。「何のために生まれて 何をして生きるのか。答えられないなんて そんなのはいやだ!」
 みなさまは答えられるでしょうか?
 それを真剣に考えて、話し合うことは大切なことです。

「こんなにもあなたのことを心配している仏(阿弥陀さま)がいるのに、どうして気づいてくれないのか?
どうかあなたのことを常に心配して、必ず護り救うと念じ続けているこの仏に気づいてくれよ!」と
涙を流して「南無阿弥陀仏」の名前となって呼び続けてくださるのが阿弥陀如来様です。

◆以上です。
 ついでに宗教の意味を調べていると

◆宗教は、もともと人間にはどうにもならないことが起きたとき、
それを説明するために、生まれたものです。
例えば、津波や雷、噴火などは、当時、原因が分からなかったので、
きっと神が怒っているのだろうと考えます。
また、病気や日照り、不作も、神の怒りではないかと言い出す人がいて、
みんなきっとそうだと信じ込みます。
そのため、儀式を行い、神への捧げ物をして、
豊作を願ったり、雨ごいをしたり、病気治しを
祈ったり、願ったりするのが、宗教です。

何か大いなる力に祈って、
自分ではどうにもならない欲望を、満たして欲しいということです。

他にも、なぜ地球があるのだろうかとか、
人間はどうやって生まれたのか、
などの疑問も、
神が創ったということで、みんな納得していました。

宗教は、長い間それでよかったのですが、
17世紀頃、科学が始まってから、少しずつ権威が失われ始めました。

◆すべての人は、色々なことを目標として生きています。
それは何のためなのか、それは何のためか、と聞いていくと、
最後は「幸せになるため」に行き着きます。

それ以上は出てきませんので、
究極的には、みんな幸せを求めて生きていることになります。

ところが、「幸せ」は、主観的な問題ですから、
あることを幸せと感じる人もいれば、
不幸と感じる人もあります。
「幸せ」は、科学や医学の方法である「客観的な観察」ができず、
科学で取り扱える領域の外にあるのです。
実際、科学や医学が飛躍的に進歩している現代でも、
幸福感は、昔とまったく変わりません。
よけい苦しくなっているという人もあるほどです。

幸せとは何か、そしてたまに感じる一時的に感じる幸せではなく、
変わらない幸せとは何かとなると、心理学や哲学でも解明できません。
ましてや科学や医学の力はまったく及ばないのです。

最後に、すべての人が直面する人生最大の問題が、死です。
死は、どんな人も、避けることのできない100%確実な未来です。

ところが、不治の病にかかって余命を宣告されるなど、
死に直面すると、普段死を忘れて生きている時と、
人生観がガラリと変わってしまうのです。

今まで問題だった、
どうしたらお金が儲かるだろうかとか、
人からほめられるか、
ばかにされないか、
愛情に包まれるかということは、
一切が光を失い、もはや関係がなくなります。

お金や財産、地位、名誉、妻子、才能といったものは、
死んだら何もなりませんから、
線香花火のような儚い幸せだったことが
知らされます。

そんなものを必死でかき集めてきた自分の人生は
一体何だったのだろうと疑問が起きて、
目前に迫る死んだらどうなるかだけが大問題となります。

しかし、科学や医学で、死ななくなることもできませんし、
死の問題に対しては、何の力にもならないのです。

「本当の幸福」「人生の目的」「死」の3つの問題は、
科学や医学では解決しようがありませんから、
解決できるとすれば、宗教によるしかありません。
これらのために、人類の存続する限り
宗教が必要とされるのです。

◆これらの3つは、実は、それぞれ別々の問題ではなく、根っこは一つです。
それは、人生最悪の問題である、死の大問題です。

死ぬときに、一番問題なのは死んだらどうなるかです。

いつ死ぬかは分かりませんから、
死んだらどうなるかハッキリしていないと
今が安心できませんし満足もできません。

実際今晩死ぬとハッキリしたときに、どういう心になるでしょうか。

仏教を聞くと、その死んだらどうなるかが、
ハッキリします。

これは、仏教以外の世界宗教であるキリスト教やイスラム教のように、
人間の考えた、世界を創造したという神や、死後の世界を信じるのではありませんから、
信じ方が深まるにつれてだんだんとハッキリするのではありません。
あっという瞬間に、水際だってハッキリします。

そのとき「人間に生まれてよかった」
という生命の歓喜が起きて、
死ぬまで変わらない幸福になります。

人間に生まれて来たのも
今日まで苦しみながら生きてきたのも、
これ一つだったと
人生の目的も、ハッキリします。

それ以外は何も変わりません。
身体も変わりませんし、趣味生きがいも変わりません。
欲や怒り、ねたみそねみの煩悩も、
減りもしなければなくなりもしません。
一切変わらないとハッキリします。

このように、仏教の教えによって、
本当の幸せも、
人生の目的も、
死の大問題も、
これら3つが同時に解決するのです。

◆宗教とは、神や仏といった超自然的な存在に対しての信仰や、それにかかわる営みを指す言葉です。
 神仏の教えを信じることで、安らぎを得たいとする心の働きのことです。

◆以上です。
自分の例で例えるならば、酒に酔うことで救いと安らぎを求めていた人間にとって
それを超えて代わる宗教が必要になったということです。
しかし、特定の宗教を信じてるわけでもなく
人生の目的をハッキリさせて生きたいだけです。
昨夜、湯船に浸かりながら御真言のように「アンパンマン・アンパンマン・アンパンマン」と唱えると
なんか嬉しくなりました。
僕にとっての宗教とはそんなもんです。

◆昨日で親戚への新年あいさつ回りも終わったので
 今日は、ゆっくりと長時間散歩をします。
 おかげさまで楽しく穏やかな正月三が日を過ごせました。(250円損しましたが・・・)
明日から仕事始めです。
posted by カトウミロク at 06:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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